漫才について考える

漫才はちょっと噛んだり僅かにタイミングがズレるだけで客が違和感を覚えてしまい、気が散って漫才の世界に入り込めなくなる。

先日の(2022年の)M-1で、オズワルドの点数が伸びなかった理由はまさにその辺りにあるだろう。いわば「テスト環境における漫才」であればその実力は折り紙付き、いつM-1で優勝してもおかしくないと思う漫才コンビなのだが、敗者復活戦で寒いところにずっといたからなのか、出だしで噛んだり、わずかにテンポがずれてしまったことで審査員の不興を買うことになった。

仮説として漫才の理想を「できる限り多くの観客を心おきなく笑える世界に引き込むこと」としよう。それがすべてで、他のことは何も要求しない。奥が深いといってもシンプルな話だ。しかしシンプルな囲碁のルールが誰にも極められない深奥幽玄な世界を生み出すのと同様、シンプルな理想を追求しようとしたら、その道を極めることはあまりにも困難な課題となる。

前述の「噛む」「テンポが悪い」といったわかりやすい欠点なら直せるが、気づかない欠点がもし客の多数派にとって違和感を覚えさせるものであるとするならば、直すのは難しい。まずそこに気づく必要がある。

観客が身内であれば、それに特化した笑いを提供することは比較的容易いし、何が違和感と感じるかも、フィードバックを得ることが容易なわけで、そういう環境であれば理想に近い漫才をすることはできるかもしれない。

しかし、漫才の難しいところは(テレビが現れる前から、何なら生まれたその時から)不特定多数を相手にしていたところにある。その難しさは民衆をコントロールする政治の難しさと通じるところがあるのではないか。

つまり、一流の漫才師になった暁には、一流の政治家と同等の民衆コントロール能力を付けているといっても過言ではないかもしれない。実際その影響力は甚大になるというのは、ビートたけし明石家さんまダウンタウンなどレジェンド級の芸人の名前を思い浮かべてみれば納得できそうだ。

もう少し小さな集団を相手にすることを考えた場合であっても、まずは空気を読む能力。何が普通で何が異常かをしっかりわきまえる。民衆の目線を知るということ。何が笑えてどこまでいくと引くかもよくわかる。さらに世界を作る必要がある。ただ二人がマイクの前に立って身振り手振りを交えて話すだけで、二人が思い描く世界を、観客集団に共有する必要がある。それは落語家が扇子一本と話芸のみで、ありありと情景を描き出すのと似ている(というか漫才は恐らく落語の延長線上にあると認識している)。

テレビに出る漫才師なら誰もが超えているハードルは、ネタをしっかり身体に覚え込ませているということ。素人ならネタが飛ぶことも少なくないだろう。しかも、相手が何らかの理由で事前の打ち合わせと異なるリアクションをする場合もあるだろうし、それに応じて即興で的確な対応をする必要がある。まず頭の回転が早くないと話が始まらない。また、声を適切なボリュームで出すこと。

M-1クラスになると、独自性も重要になってくるだろう。やはり実力派の漫才コンビは、それぞれの型を確立させていると思う。そしてその型を確立するまでに様々なピボットを繰り返している。ミルクボーイの「おかん漫才」はシンプルだが、この完成度に至るまでに過去の漫才を観ると様々な試行錯誤があったことが想像される。

また過去のミルクボーイを見ると「身なり」についても考えさせられる。ネタの世界観を伝えるために、身なりは案外重要な要素だと思う。そしてそれの調整は、それこそ「不特定多数に違和感を抱かせない」ために非常に難しい話だとも思う。

ウエストランドがディスっていたが、漫才やコントを一種の演劇のようにみなして、そこにメッセージ性を込める人もいる。笑った後にただ笑って気持ちよくなるだけではなく、何らか残そうとする。不条理劇のようなものもあるかもしれない。もちろん、笑えなければ漫才としては失格だろう。

ナンセンス的な笑いであっても、その意味が自分たちだけにわかるオナニーに終わらず、観客に伝えることができたとするならば、それだけで漫才の難しさを一つ立派に越えていると思う。ランジャタイの独特の世界観とナンセンスな笑いは、恐らく相当難易度が高いが、彼が何をしているのかは多くの人に一応伝わっているとは思うので、それはすごいことだ。

漫才の進歩の過程で、ただ王道のボケとツッコミだけでは飽きられるし、独自性もないし、つまらない。そこで少しずつ進歩してきているんだと思うが、漫才で難しいのは、漫才がいかに進歩したとしても、その対象はあくまでも何も進歩していない、何も知らない観衆だということ。なので、結局最初の話に戻るが、時代感というのをきっちり掴む必要が生じるということになる。ビスケットブラザーズの「急にキスされて怖かった」というコントは、男女の性差が曖昧になりつつある現代の空気を的確に捉えている。コントの中では一般にイメージする男女の行為が完全に逆転しており、「急にキス」したのは女性で、それを「怖かった」と言い、関係を見直すまで思いつめているのは男性である。一昔前ならナンセンスな設定ということになるので、そもそも彼らが何をしているのか理解されなくなるだろう。しかし現代であれば、それは普通に有り得て誰もがイメージできる一つの恋愛における形なのだ。やや間延びしたコントで、個人的には大して笑えないのが残念だが、ただ話しているだけでそういったいわば「異常」な状況を観衆に確実に理解させている技量はおそらく間違いなく、テレビに出れる芸人さんはやはり凄いと思わせる*1

上手くまとまらないが、また続きをいつか書きます。

*1:ただキングオブコントで優勝していたことは知らなかったので、え、これで?と相当ビビったけど