神は細部に宿る

世界が広すぎて、小さすぎる自分に無力さを感じ、どうでもよくなることもある。

囲碁でも、料理でも、ギタドラでも、何でもそうだ。

しかし、絶望する必要はない。自分の目の前にあることに、全力を出して取り組んでいればよい。なぜなら、自分の目の前にある一見狭い世界も、広すぎる世界と相似形だからだ。つまり、「狭い世界」の追求は、実は「広い世界」の探求に相似している。誤解を恐れずに言うと、狭い世界を追求することで、広い世界のことがわかってしまう。

井の中の蛙」という諺はあるが、それは結局中途半端な姿勢に対する戒めであろう。

例えば、囲碁では定石だけでも無数にあり、それを考えると中盤戦やらヨセやら、考えることが多すぎるように思える。しかし定石は囲碁の世界の縮小版のようなもので、定石を極めることは囲碁を極めることと同義である。