結局は知識が一番大事ってこと

自分は、昔から人にはない独自の個性だとか発想力だとか思考能力だとか、そういったものをやたらと重んじて、知識の詰め込みを毛嫌っていたところがある。

そういう教育を受けたからかもしれないし、前者は自分にはなくて、自分ができたことは後者ばかりだったからかもしれない。いずれにしても「詰め込み教育」「知識の詰め込み」にアレルギーを持っていた節がある。

しかし、もう遅いのかもしれないが、最近になってようやく、それらが知識が一番大事であり、それが前提の議論であったことに気づいた。その前提を忘れて、自分は知識が大事ではないと思い込んでしまったのだ。

成果を上げるやつというのは、要するに大量の情報を短時間で処理できるやつであって、大量の知識を吸収できるやつなのだ。それが前提として初めて発想も思考もあり得る。自分にはそれが欠けていたから、いい大学を出ても全然ぱっとしなかったというわけだ。

自分は知識の詰め込みができたと上に書いたが、中学生レベルの話にすぎない。今となっては記憶力も落ちたし詰め込みができる体力も根性もモチベーションも大してない。ただ、何かをやらなければならないときに、大量の情報をまずは仕入れることが前提であり、あらゆる手段を総動員して可能な限りにアクセスし、知識を精一杯吸収しなければならない、ということは今はわかった。そういうときには、ジャンルを限定して、それなりの力を注力することは、幸いまだ可能だと思う。