壁にぶつかった時

だいたい高い壁にぶつかった時、それを乗り越えようとするためのモチベが続かないことで、壁を永遠に超えられないままだった。

浪人生だった頃に勉強していた記憶はもう殆どないのだが、ただつるつる滑る球体になんとかしがみつこうとして、夏頃だったか、ようやく爪がひっかかったような感覚を得たような記憶だけは残っている。「つるつる滑る球体にしがみつこうとしていた」というのはなぜそのメタファーなのかは自分でもよくわからないが、当時はその例えがなぜかふっと浮かんで、それがしっくりきていたのだろう。だからあれから20年以上経った今も覚えているわけだ。あの「爪がかかった」という感覚を得た瞬間は、「壁」を超えるヒントを得た瞬間だったのかもしれない。

あの時は壁を超えていたのかもしれない。それはもう後がないガムシャラだったし、がんばったときの見返りは、志望校合格という大きいものが約束されていたから。

ただ、今その時のようにガムシャラになれるかというと、なかなか覚悟を決めないとそうはいかない。どうせ趣味だし。そして、特にその趣味をやらなければいけないという必然性もない。趣味に全力を出したときの見返りも不確定だし。

ただ、さらに一回りして、今となっては趣味だろうが見返りがなかろうが、「全力で壁を超える」ことの重要性を薄々感じはじめてきた。

これもどこかでブログに書いていたかもしれないが、一つ持論として、人間は自分が超えた壁のところまでしか行けない。他のジャンルに手を出しても、自分が既存のジャンルで超えてきた壁のところまではスイスイたどり着くが、それより先には行けない。

これを表していることわざが、「一芸多芸に通ず」で、一芸を極めた人というのは全ての壁を超えてきているから、他の芸に手を出しても相当のところまではひとっ飛びで到達する。例えばビートルズポール・マッカートニーがあらゆる楽器を弾きこなすとか、GACKTが格付けであらゆる分野で正確な答えを出すとか、芸人が芥川賞を取るとか、有名絵師さんは音ゲーも異常に上手いとか(突然卑近な例え)そういった事例には枚挙に暇がない。

だから、自分の囲碁五段とか、ギタドラ赤グラとか、仕事とか、料理とか、その辺の"中途半端さ"は、どのジャンルに手を出しても似たようなことになっているというわけだ。今、全ての分野で、自分は同じような壁にぶつかっている。趣味であろうと、見返りがなかろうと、それを超えることが、人生の壁を切り開くきっかけになるはず。

今、壁にぶつかったときに、斜に構えて壁を回避することは猛烈にダサいことなのだ。

壁を超えるのは大変なことだが、またあの頃のように、頑張ろう。