東方アレンジCDの蒐集

秋葉原のとらとかメッセとかに立ち寄るとついアレンジCDを買ってしまう。昨日もそんなつもりはなかったのに、なぜか5枚購入してしまった。紅楼夢の新作が入ってたんだよね^^;
夏コミでは、予想に反して地の体験版のアレンジは少なく、冬コミ待ちかと欲求不満になっていたところに、紅楼夢という大きいイベントがあった。ありがたい限りです。
東方を知ったのは去年だけど、もう100枚近くCD持ってるんじゃないだろうか。僕としてはかなりのペースで購入していることになる。ヤバい作品ですホント。

なぜ東方アレンジを集めるのか?

1. 音楽的な質の高さ
詳しくは知らないものの東方の二次創作はその層の厚さと質の高さで他ジャンルを圧倒するんじゃないかと思っている。比較の根拠は音楽ゲーム関連のアレンジ市場の目立たなさ加減と、ニコニコでの投稿作品の質の違い。手前味噌というのでもないと思うが、東方関連のニコニコ動画の質の高さはプロ級のものも少なくなく、単純なMADとは一線を画する。東方界隈には優秀なアーティストが大量に埋まっているものと思われる。
純粋に聴いていて心地よかったり、感動して鳥肌がたつような同人作品というのはそうどこにでも転がっているものではない。ただバックグラウンドなしに聴いていて(そんな聴き方は不可能だろうが)音楽作品として不満なく聴けるというだけでも、購入する価値はあると思える。
2. 情報欲
さらに、その中でも特に安定して高品質の二次創作品を出版し続ける珠玉のサークルを、できれば知識に収めておきたいという情報欲だろうか(ヲタ的な発想だ)。東方マニアの会話に加わるためにある程度の知識は必須だと思っている。お互い情報を出し合って、よりよいものを効率的にゲットしやすい環境というのは、こういうファン的な行動を続けていくにはクリティカルな意味を持ちうると思う。
3. 「東方」という「メディア」を介したコミュニケーション
最近、感じ始めているのが、「コミュニケーション」としての同人作品購入。間違いなく誤解されると思うので最初に念を押しておくが、決して、イベント会場で売り子をやってるサークルの方々と会話するとかそういう意味ではない。それはそれで一つあると思うが、そういう同期型のコミュニケーションではない。敢えてニコニコ以来知った言葉を使うと「非同期コミュニケーション」ではないかと思う。
ついでにニコニコ動画でたとえると、いわば「東方原曲」が「投稿動画」、それに対する「コメント職人」が「同人サークル」、そして「東方プレイヤー」は「名も無い閲覧者」である*1
つまり、東方原曲を様々な形で解釈し、原曲の価値をさらに引き出していく同人サークルたちの作品を見て、名もないプレイヤーは「他のユーザーと一緒に同じ動画を眺めている」ような気持ちになれるのだ。この一体感には、人間としての根本的な部分に触れるような満足感がある*2

また今日も買いに行くか〜。

*1:このたとえにはかなりの無理があることや、また別の誤解を招きそうであることも承知しているが、どうか汲取ってください^^;

*2:「東方は宗教」というのとはまた別の話