「三年の壁」と銀の弾丸がないということ

三年の壁

ドラムを2018年に再開して、それなりにやり続けてまもなく丸三年が経過することに気づいた。思えば、殆ど誰も一緒にやる友達も殆どいない*1中で、振り返って充実した三年間だったとは思う。ただ思い返してみると、自分には囲碁とか、DDRとか、ポップンとか、東方とか、プリキュアとか、ドラムとか、麻雀とか、料理とか、自転車とか、いろいろ趣味の遍歴があった。ほぼどれもスコアを競うジャンル(プリキュアを除く)で、相当に時間とコストをかけて入れ込んだことは共通している。そしてもう一つの共通点として、「三年の壁」がありそうなことに、最近気づいた。熱中しはじめてから三年経つと、ジャンルそのものの勢いにかかわらず自分の中で沈静化してしまうということ。

東方も2007年〜2010年、プリキュアも2011年〜2014年。考えてみれば囲碁も高校の三年間、予備校の一年を挟んで大学の三年間のそれぞれがんばった後はそこまで集中的に取り組んだわけではない(だから伸びない)。

ドラムについてはやや特殊だが2007年〜2008年に一旦初めてそこまでやり込む程でもなく一旦放置、2010年に再開して2011年に一旦遠ざかっている。

DDRは結構例外的で、2001年に開始して2007年頃までは結構しっかりやっていた記憶がある。ただあまり熱中し過ぎると比較的短期間で燃え尽きるというのは結構自分の中でありがちな気がする。東方とプリキュアのように、かなり集中して取り組んだジャンルはそれが顕著に現れたということで、それが自分にとっては三年間という期間になるということだ。

さて、この「三年で燃え尽きる」という事象にどう向き合うべきか。ドラムは東方やプリキュアほどののめり込み方ではなく(少なくともドラムオタクと言えるような生活をしていることは絶対にない)、適度に取り組んでいるから同じようなことにはならないのか。

短期間とはいっても「三年間」。ちょっとした工夫とか、付け焼き刃でどうこうできるようなものではなく、自分という人間のあり方に深く関わっていて直す(?)のはそう簡単なものではないと思われる(ちなみに、三年間という期間、それなりにやり込んでいれば、素人でもそこそこのスキルに達することができると思うが、自分の場合は情けない話で、どうもそこまでには至っていないようだ)。

ただの気付きで、これで思い返したところでどうなるわけでもない。ただ自分という人間を考えるうえでひとつのヒントにはなるかもしれない。

銀の弾丸がないということ

「三年の壁」にもしかしたら関係していることかもしれないので同じエントリにするけど、ある一つのスキル上達の方法を見つけると、それをただ繰り返したらどこまでも上達するかというとそんなはずはない。スキルに適した上達法があるし、それを常に探し求めていかなければならない。というより、スキルが伸びるために常にもがき続けなければならない。一つの方法に安住してしまうと、やがて頭打ちになってしまう。

一つの方法で頭打ちになったストレスは、そのジャンルから離れるリスクを高めてしまうかもしれない。

 

 

 

*1:Twitterで友達・ライバル登録してくれた方は一人だけいた