東京都現代美術館

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半月前にはレンタカーで栃木まで行き、先週にはやはりレンタカーで実家に帰ったなどと結構旅行めいたことをしていたため、特にこの三連休には事前に予定を立てずにいたが、やはり連休となると普段ではできないことをしたくなる。そこで連休前日にレンタカーを調べてみたら、なんと全て予約されていて一台もなかった(笑)。

地方の人は知らないかもしれないが、都内のレンタカーは休日には大人気なのだ。

ということで、公共交通機関を使って都内の美術館に行ってみることにした。

現代美術について知識があるわけではないが、既存の枠組や常識が通用しない作品群に触れることには知的興奮をかきたてられるので結構好きなのだ。

しかし、改めて現代美術館に行ってみると、知的興奮以上に、心のデトックスとしてがっつり機能してしまい、戸惑っている。訳がわからない作品だらけ、というわけではない。ただ、上記の「あ、共感とかじゃなくて。」展においては、アーティストがエネルギーを注いで作り上げた映像であったり空間であったり、その作品が展示されているわけだが、それぞれのアーティストはコンセプトもモチーフも表現方法もバックグラウンドも全く違い、ただそこに通底している共通の要素が、かろうじてこの展のテーマによって発掘されて結びついている。た、だその良い意味での自由さというか、悪く言えばとりとめのなさというか、それが横溢している空間がなぜか心地よかった。一種の現実逃避として機能したからだろうか*1。美術館に行く際にスマホを家に置き忘れてしまったことは関係あるのだろうか。もとい、政治や国際情勢や異常気象など、真っ当に生きていれば不安でしかいられず、将来に希望を持てる状況ではない中で、そういった価値基準から一切解き放たれたランダムな情報が、アートという洗練された形で存在している空間は、普通の生活では決して得られない何かを提供してくれたのかもしれない。

東京現代美術館は、その建物自体や、その周辺の環境も、また当日に限り出入り自由というシステムも非常によかった。建物自体がそれなりに予算を使って建てられたものと思われ、天井も高く非日常感を高めてくれる。また、建物自体に出入り口があちこちにあり、周辺の木場公園とシームレスに繋がっている感もよかった。一度チケットを買ってしまえば出入り自由ということもあり、疲れたら途中でふらっと美術館を出て、公園を散歩することもできる。外界と隔絶された環境というのはやはり息苦しいし、あまり人間本位に作られているものではないと感じられるが、現代美術館はその辺りしっかり作られていると感じた。

*1:というと身も蓋もないのだが