赤ちゃんの面倒を見て思ったこと

先日、甥3歳と姪0歳6ヶ月の面倒を少しだけ見てきた。

甥はまだしゃべることはできないのだがとても元気でいつもニコニコしている。姪は当然ながらまだまだ乳児。全く何を考えているかはわからないのだが、少しの間一緒にいて感じたのは、行動は感情に基づき、感情は何らかの理由に基づいているということ。ごく当たり前のことだし、むしろ我々以上に原因→感情→行動の因果関係は極めてストレートである。ただ、言葉が使えないし、我々とは身体的精神的に余りにも異なっているために、我々にはその原因を察することが難しいというだけの話である。

例えば食事中にいきなり大声で叫び始めたことがあった。何事か、と思うわけだが、原因は彼が食べていたハンバーグのかけらが床に落ちてしまったことにあった。大好きな食べ物が、全く理不尽にも*1突然自分の手から離れて、届かない場所に連れて行かれたとすれば極めて合理的なリアクションである。

それにしても、望んだのかどうかわからないが、突然わけもわからないうちにこの世に生まれてきて、この世界の物理法則の只中に放り出されるというのもハードなものである。何が起こっているのかもわからないうえに、自由も厳しく制約されている。そりゃ喚きたくもなるというものだ。

翻って、我々も彼らとどの程度違うというのだろうか。地震、コロナ、戦争、異常気象、愚かな政治家。この理不尽な世界の中で、わけもわからないままに酷い目にあって、泣き叫んで、死んでいく。赤子が寝返りが打てずに苦しむのと、我々がコロナに感染して苦しむことの間に、どのような違いがあるというのだろうか。

*1:彼視点