頭をよく使う

最近頭をよく使っている。昔は使うのがそんな好きではなかった。だから、10年前は、会社の後に「囲碁」なんて無理!という感じだった。

一体当時何を考えていたのか、と思わなくもない。

まあ、バカだと頭を使ってもたかが知れてるので、自然な流れかもしれない。

今は当時よりはマシになってはいる。世間知らずなのは相変わらずだが。

”マシになっていると自分で思い込んでるだけ”説はもちろんある*1が、ただ、囲碁なんて無理、といって東方とかやってたと思うんだが、頭を使わずにどうやって東方をやっていたのか。反射神経だけか。それは下手くそなわけだ、と思う。なんで頭を使わずに生きれると思ったのか。だいたい、なんでそんな状態で社会に出ていたのか。まあ、それは仕方ないかもしれない。人間否応なしに歳は取るのだから。精神がお子様のままでも、時間の流れは残酷だ。

ともかく、本来使う対象はもっと実用性の高い分野であるべきなのはわかるのだが、まあ、仕事や料理は言うまでもないが、ドラムとか囲碁とか麻雀とか卓球とか自転車とかブログとか、いつからかはよくわからないのだが、結婚してから徐々にそうなったのかもしれないが、そういった趣味的なところに主に注ぎ込んでいる感じになっている。

そういう状況だと、過去の自分がいかに何も考えていなかったかということがしみじみわからされる。さすがにおバカすぎたのではないか。それは麻雀も激弱なわけだし、囲碁だって五段より上に上がることはできなかったわけだ。頭を使わなければ限界というものがある。

もしかすると、麻雀は一つの鍵だったのかもしれない。一手一手が短時間で考えることをいわば強要される(最長でも20秒以内に打たないといけない)ものはこれまでなかった*2。新しい刺激の中で、短時間のうちに考えて結論を出す、という作業を繰り返していれば、考える癖がつくようにもなるし、反射的に考えられるようにもなるのかもしれない。仕事ももちろん一つのきっかけではある。仕事で教えられた/学んだ「考える方法」「考えるヒント」みたいなものは限りなくある。

多分だけど、頭いいやつって、小学生くらいで既にこういう思考回路ができているんだろうなあ、と思う。

僕は四十を越えてようやくそこにたどり着いた感がある。というわけで、こんな頭悪そうなエントリで全く説得力がないが、最近そういうことを感じたのでメモっておく。

具体例

上に書いてることが抽象的すぎて後から自分が見てわけがわからなくなりそうなので、じゃあ具体的に最近はどういう風に頭を使っているのか。

まず仕事をする。頭脳労働は頭を使うことだらけだし、逃げたくても逃げれない。だから最近すっごく疲れる。昔は疲れなかったんだろうか。そうかもしれない。何なんだ。

麻雀を打つ。専ら三麻を打っている。なぜなら四麻は時間がかかるから。半荘で一時間はざらにかかる。三麻の東風戦なら10分で終わる。家事のスキマ時間や、家事から解放された後の時間にやりやすい。

料理をする。料理をするのはイメージの作業だ。在庫管理、材料調達、調理、そして片付け。しっかり料理するとまたどっと疲れが出る。

詰碁を解く。最近より楽しくなってきた。いろいろな棋書をつまみ食いしている。また一昔まえと違って、そこまで潔癖な感じで接していないので気楽。

ブログを書く。ブログを書くのはある意味、夢を見るようなものだ。つまりは脳内のデフラグ作業。記憶すべきことはブログに整理した形で残す。仕事や日々の家事や趣味、活動の中で、気づいたこと、発見したことを整理してブログに残す。また、ジャストアイデアをブログを書きながら考えていることも往々にしてある、と思う。調査ログになっていることもある。いずれにしても、ブログを書く時間というのは自分との会話みたいなもので、充実した時間だと思うし、必要な時間だとも思う。また、内省的なものでなければがっつりウェブで調査もするし(自動車関連のエントリは代表的)、知識を得るためのきっかけにもなる。分野ごとに3つのブログを書き分けているが、いずれも最近は高頻度で更新している。

ただ、頭を使っていると興奮しすぎて寝られなくなることが多い。最近寝不足な気がする。休みのための休みが欲しい!!

*1:人間にとって「現実を直視しない」ことは辛さから逃れる楽な手段の一つだ。現実を直視するのは、あまりにも厳しい。だから、人は現実逃避を図る。人生や地球の客観的な真実は普通の人間には重たすぎるのだ。また、狭い世界にいると、逃げるとか、直視しない、とか、そういう自覚の有無にかかわらず、人間は容易に自分の立場を勘違いするし、世界の常識を見誤る。自分の狭い世界の基準が全てになってしまう。それは自分の思い込みが世界の姿だと信じるようなもので、極めて恐ろしい話だ。リモートワークで仕事をしていることは、別に出社して仕事をすることとそこまで極端な差はないかもしれないが、それでも自分が狭い世界に落ち込んでその中の基準で物事を判断していないか、という自省は常にしておく必要がある。この長い注釈はまた今後別エントリで書く。

*2:あえていえば囲碁クエとかだったか。でも囲碁クエはそんなに長続きできなかった。雀魂は囲碁サークルのいち部活動みたいな形でやっていることもあって、継続できている