人間は自分の身の回りの狭い世界で容易に勘違いする

例えば、エロ漫画ばかり読んでいて、現実の女性と接していなければ、女性がエロ漫画に出てくるようにエロい人ばかりだと思ってしまうのだ。しょっぱなからあまりにもリスキーな例を挙げてしまったが、わかりやすいとは思う。

Twitterのタイムラインは、自分がフォローしている人から構成されるから、グローバルで予想のつかない未知の世界が広がっていると思うかもしれないが、実は狭い自分の世界を「内観」しているに近い。そして、人は他人と比較しなければ、自分は天才だと思ってしまうものなのだ。かくして、誤謬は再生産されて強化され、そして陰謀論にやすやす騙される人々が誕生する。

一つの打開策としては「結婚」という劇薬がある。「他人」というのは「家族」とは違う衝撃がある。しかも「異性」ともなると、生物的に全く異なっているわけだから、最低限の衝撃は与えてくれる。一人暮らしをしているとあっさり陥る勘違いの多くの罠から、結婚は人を救ってくれる。

しかし、これも最底辺からツーランク程度上がるくらいで、そこに安住しているだけでは結局危険だ。他人ではあっても、「他者」ではない。そもそも付き合ってから結婚するわけだから、案外似ているのだ。長年暮らした夫婦が顔がよく似ているのも象徴的と言える。

幸せな勘違いなら、勘違いしてもいいのでは?という考え方もあるかもしれない。

それでいいと考える人にとってはまあいいのかもしれない。しかし、自分の勘違いに気づかない人というのはーーー私個人としては、人としてあまりにも残念な姿であると思える。

自分の姿を客観的に、シビアに見られる人間でありたい。そのように冷静な眼で見て、うっかり発狂してしまわないで済むような、最低限の社会性と能力は身につけた人間でありたい。そして、シビアな現実を見て、なお楽観的に前を向ける人間でありたい。