「センスがない」理由

単に情報の摂取量が圧倒的に少ないから。センス≒蓄積してきた情報量と言ってよいと思う。もちろん、接した情報≠蓄積した情報なので、「接した情報のうちどれくらいを蓄積できるか」が結構ボトルネックになるのだが。

で、僕はどうも昔から情報を仕入れるアンテナがとても低い。情報に関心がないのかというくらいに、鈍感で無頓着だ。今振り返ってみれば、この「関心のなさ」が僕の生き辛さの理由のかなり多くの部分を占めているのではないかとすら思える。

要は勉強量なのだ。自分が中学の頃は人に尻を叩かれてきたから勉強量で自分の愚かさを補完することができた。ただ大学に入って以降はそのことをすっかり忘れてしまい、情報/知識の重要性を全くもって軽んじて生きてきてしまった*1。もはやアラフォーとも言えない年齢になってきているのに、こんな若者の悩みみたいな文章をうじうじと書いている時点でいろいろ終わっているのだけれど。

とはいえまだまだ、諦めてはいけない。粘ろう。

 

*1:一応、自己弁護をしておくとするならば、勉強といえばもっぱら「自分の頭で考える」ことがメインだと思いこんでいた。知識が大前提なのに、知識を入れることを面倒くさがって、自分の頭の中だけで理屈を捏ねてなんとかしようとしていたのだ。囲碁でも、読みの力と詰め碁力があればなんとかなる、と、知識を入れるのではなくまず考える、という誤った方向性で取り組んできてしまっていた。何度も言うが知識は大前提なのであって、それをおろそかにしてしまうと何も上達しない。囲碁も結局、20年間全く上達しなかった。もちろん、知識の重要性にようやく気づいた今となっては上達しようと毎日新しい形の勉強をしているところだ