教習所の思い出

もう20年近く前になるので、実はほとんど忘れている。ほとんど全く何も印象に残っていない、というのがあえて言えば思い出である。

確か大学を卒業する年度の10月頃から12月頃まで通った。筆記も仮免も本免も一発合格だった記憶はあるが、それ以外の記憶が抜け落ちている。どこの教習所だったかすら怪しい。小田急の沿線だっただろうか?12月にノロウイルス感染症らしき症状で一度欠席した、という記憶はある*1

なぜこんなに思い出がないかというと、教習所で人との繋がりがなかったからだと思う。もちろん教官とは同じ自動車に乗るわけだから、その一瞬だけの繋がりはあるが、それは継続的なものではないので印象づけられるものでもない。予備校も教習所も、他の受講生との繋がりは全く持つ必要がないというか、持たなくて済んでしまう仕組みになっている。当時、彼女と別れたばかりで、異性との出会いみたいなものを求めてもよかったのかもしれないが、正直参っていてそういう気持ちもわかなかった。自動車業界と繋がりの深い企業に就職が決まったこともあり、また一度就職してしまうと教習所通いは難しくなるということで、就職前にはなんとか取っておきたいと、特に誰にも相談せずに通うことを決めたはずだ。当時、親ともあまり連絡をとっていなかった。

当然、教習内容も完全に頭から抜けているのである。かろうじて記憶に残っているのは、実習中にカーブでブレーキを踏んだときに、ヤンキー上がりみたいな雰囲気の女性教官に「今なんでブレーキ踏んだのか」と詰められた指導されたこと。カーブに入る時には減速して、出る時にはアクセルを踏む、ということを実践したつもりが、おそらくカーブの途中でブレーキを踏んでしまっていたということだと思う。微妙な不条理感とともに記憶に刻まれたということだろうか。また、同じ女性教官が講義で、「トレーラーの運転では右にバックするときに左にハンドルを切らないといけない。自分もできない」というようなことを呟いていて、それは記憶に残っている。やはり女性だから記憶に残ったのだろうか。男性教官の記憶があまりにも完璧に失われていてちょっとつらい。

それなのになぜ運転できているのか、というのは少々不思議でもあるが、運転当時の自分の記憶を次に運転した自分が使い、次に運転した自分は前回の記憶を頼りにし、と、記憶のバケツリレーが行われているのだろう。だから、教習内容は忘れても運転はできる*2。今はむしろ積極的に知識を各方面からインプットしているので、新しい記憶の方が充実しているとは思う。

当時の記憶を辿って、あんなこと言われた、こんなこと教えられた、ということを思い出して、ネットでの運転技術の情報と照合して記憶/知識を補強することができれば楽しいだろうと思うが、残念ながらもうそれは叶わない。まあ、どうでもいい。

*1:あのときは、渋谷から北沢の下宿まで帰宅するまでに3度吐いた。なかなか激しかったが、下痢になった記憶はない。何だったんだろう。

*2:あるいは、体は覚えているということか。それはないと思うけど