英語についていろいろ思うこと

Twitterを始めてからあと2か月ほどで2年になるが、海外の方々をフォローし始めて日本語混じりの拙い英語でコミュニケーションをとるようになったのは結構最近のこと*1
英語を使う機会が増えると、日本語との違いを否応なしに意識させられる。Note to selfということで書いとく。

定冠詞theと不定冠詞a/anの意味とは

名詞にどの冠詞をつけるのか、あるいはつけないのか、という問題には常に頭を悩まされてきたし、正解が分かりにくいということもあってあいまいな理解のまま姑息にやり過ごしてきたと思う。ただ、この意味は想像していたよりもはるかに大きいかもしれない、と思い始めている。
文法的には章題にあるように「定冠詞」「不定冠詞」と呼ばれて、theは「その」a/anは「一つの」という訳が充てられたりしているのを見てきた。日本語には冠詞に相当する言葉は存在しない。英語で"I eat an apple. "の"apple"には"an"という不定冠詞がついているが、「わたしはりんごを食べます」という文の「りんご」は名詞そのままが使われている。そういう理由で、どうもこれらは結構その本来の意味よりも軽視されがち、というか自分は軽視気味だったかもしれない。
しかし英語におけるこの冠詞は、実は文法構造を左右しうる。そして、したがってそれだけの重要性を持つ。
例えば"eating {,the/a} fish"という節を例に挙げてみる。

  1. eating fish (冠詞がない場合)「食べている魚」

ここでfishというのはeatingという動詞(動名詞)の目的語ではなく主語となる。つまり、「食べている魚」だ。
moving car というのは、「動いている車」でありそれと同様。冠詞をつけなかった場合、eating fishはまとまって一つの単語とみなされる。その結果、eatingは形容詞的にfishにかかり、このような意味となる。

  1. eating the/a fish (冠詞がある場合)「その魚を食べる(こと)」「魚を食べる(こと)」

ここでは冠詞がつくことでeatingとfishが文法的に分離されてることがわかり、fishはeatingの目的語と解釈される。theの場合、fishというのが具体的にどのようなfishであるか、発言者の頭には明確にイメージされている。aの場合、それは一般的に魚を食べることであり、別にどの魚かという指定は(少なくともこの時点では)ない。日本人でも当然この違いは明確に意識しており、別に英語独特の概念ではない。

冠詞の有無で文の構造ががらりと変わってしまうというのは、日本語で言えば助詞の有無に近いのではないか。日本は「魚」の前には何もつかないが、「魚は」「魚を」と助詞をつけることで、魚が動作の主体なのかターゲットなのかを区別する。
完全に対応するわけではないが、冠詞を誤って用いることが、日本語でいえば助詞を取り違える程度のインパクトを持ってしまうということはありそうだ。

ここに来て感じることだが、英語における名詞/動詞の変化というのはいずれも文法構造を明確にするためにも重要な役割を持っているように思う(名詞の変化は単数/複数の違い、冠詞の有無など)
まだ○○語という形になる以前の原始的な言語では、冠詞に相当するものは存在しなかったこともあるかもしれない。その場合、上のeating fishとeating the/a fishは同じ形で表されていたのだろう。もちろんこれではわかりにくいわけで、次第に言語は進化していったと。

閑話休題

例文のシチュエーションは、背景が明確にした方がいい。見た事はないがたぶん今の教科書は改善されているんだろう。昔の教科書にあった、女の子がペンを持って「これはペンです」という図はなかなかにシュールだ。その場合aでもtheでもたぶん別におかしくはないし違いはわからない。もちろん文法的にはシンプルな文なので、導入として悪くはないと思うのだけども、
そういう「簡単な例文」が日本人にとって難しい*2英語をさらに難しくさせた意味はあるんじゃないか。aとかtheとかの使い分けは、恐らく文脈/背景がはっきりしていればそう難しくはないんじゃないかと思う。

対象の切り分け方

英語では"sister"というだけでは、姉か妹かはわからない。"water"というだけでは、もしかしたらお湯かもしれない。その辺りの話は英語の習い始めの時期からよく知っていて、不便だなあと思っていたのだけど、結局それは言語が対象をどのように切り取るかであって、必要なら細かく刻むしそうでなければ大雑把でいい。彼らにとって、brotherが兄か弟か、またsisterが姉か妹かどうかというのは、例えば長男か次男かが激しくでかい意味をもっていた時代を持っていた日本とは違って大した意味を持たなかったのだろう*3。そして日本だって、「妹」というだけでは、younger sisterであることはわかっても、それが何人目の妹かまではわからないのだ。

訳語の対応

自分もまだ英語はまともに使えないレベルなので、何か発言する時には「日本語でいったらどういう表現に相当するんだろう」ということを常に心配しながら発言している。ネットで発言する場合にはalcで予め検索するのは当たり前、例文を読んでよさそうかどうかを判定している。だいたい直訳して問題なさそうな場合も多いが、文化の違いや慣習が絡んできたりするとそう簡単ではないし、熟語的な表現は直訳ではだいぶニュアンスが違ってくるので難しい。
ただ、時々、簡単な言葉でも微妙にニュアンスが違って、対応していないんじゃないかと思うケースもある。例えば
「幸せ」と"happy"などはだいぶ違う気がしている。日本の「幸せ」は英語の"happy"よりももう少し穏やかで落ち着いたものというイメージがあるし、英語よりももう少し頻度が低い気がする。ハッピーハードコアを幸せハードコアとは言わないよねw

*1:Twitterは国際交流の敷居が物凄く低いと思うし、これはもっと評価されるべきだと思う

*2:文法構造だけでなくいろいろ対極的と思う

*3:実際のところはわかりませんが