世の中に絶えて桜のなかりせば

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

在原業平の超有名な歌。これ一般的な解釈って、「春の心がのどけから」ず、な理由って「桜の花が散ってしまうから」ということだと思うんだけど、実はそういうことではないんじゃないかと思えてきた今日この頃。

春に人の心が落ち着かない理由は実は「桜が咲くから」ではないか。あるいは、桜に代表されるような冬から春への急激な変化のためではないか。もっとも、この解釈だと桜はとんだ濡れ衣を着せられてしかもフォロー無し、ということになるので、歌の解釈としてはやはり桜の花が散るから、と見るのが妥当なのではあろうが。

なんでそんなことを急に思ったかというと、一つにはこの春、桜が咲いた頃に全国で殺人が頻発したことがある。
茨城の無差別殺傷の事件とか、ホームから人を突き落とした事件、一家無理心中を図った事件などなど、余りにも立て続けに血生臭い事件が起こったことに誰もが不思議に思ったのでは。いかにも妄想めくが、まるで桜が満開になるために、人の血を求めているかのようにも思えた。

もう一つには、3月末に無事きつかったプロジェクトがクローズしたため、6連休を頂き、2月の疲れを癒そうとしていたのだが、連休に入る直前からかなり酷い鬱状態に陥り、連休の間中、非常に陰鬱な気分に見舞われ続けていたことがある。何も連休の直前に鬱にならなくてもいいとは思うが、連休が明けた後も一週間程は会社にいると全身が毒に浸されているかのような不快感が続き、殆ど何もできずに8時頃になったらさっさと帰宅せざるを得ない状況だった。

自分はたまにこういう状態になってしまうことがある。鬱病という程ではないものの、軽い持病と思っているのだけど、ここまでのは結構始めてかもしれない。

冬から春という季節の変化は、想像する以上に、特に精神的な部分において、人に影響を及ぼしているのかもしれない。ようやく桜もほぼ散って、木々は新緑を芽吹かせ始めた。その姿は、あの白に近い桜色に覆われた息苦しい程の美しさとは余りにも対照的に爽やかだ。