映画スマイルプリキュア感想その2

 懲りずに新しい感想を書きます。前回は「影の両義性」と絵本の謎、そして「Love your enemies」のメッセージについて、がメインでしたが、今回は「翼/羽根」と「ニコ」について考えてみました。

映画における翼

 プリキュア映画を観に来た子供たちには、恒例のミラクルライトが配布される。今回のライトの名前は「ミラクル『つばさ』ライト」。そして絵本の表紙には翼が描かれている。「翼」は本作における重要な役割を担っており、様々なところで思わせぶりに登場している。映画に翼や羽根が登場したシーンを振り返ってみよう。

1. 冒頭
 暗闇に光が生まれ、それが羽に変わる。羽はみゆきの頭上に落ち、みゆきをニコの絵本に誘う。みゆきが本の表紙の上に落ちた羽にみゆきが手を伸ばすと、羽は消滅し、絵本が勝手に開いて最後のページを示す。
2. 絵本
 絵本の表紙の中央には翼のレリーフがついている。登場する動物たちは皆背中に同じ形の翼を持っているが、これと同じ形。また、ニコが胸につけている飾りも同じ形。ニコが物語を改変した時に、彼女はこの絵本の表紙に手をかざしていた。
3. ニコ
 絵本の登場人物で唯一翼を生やしていないのはニコだが、髪型はまるで畳んだ翼のような、非常に独特な形状をしている。ニコの後ろ姿はまるで首をすくめた鳥のように見える。
4. 影
影に操られた者は黒い蝙蝠のような翼を備える。もちろん、映画の序盤に登場した金角、銀角も同様。影が剥がれると、翼は無くなる。
5. 魔王
 「みゆき、やっぱりあの約束忘れてるんだ」とひとり呟いた時にニコの影に生えた翼。これは魔王の翼と後にわかる。魔王は巨大な翼を持った竜のような形状をしているが、途中にも形状を変化(進化?)させる上影のような色をしており本当の姿を明らかにするまでは姿は曖昧なままである。
6. 鳩の羽根
 ニコがみゆきたちを困らせようとした瞬間に白い鳥(鳩?)が一斉に飛び立つ。冒頭に出てきた羽と同様、ここで1枚の羽が落ちる演出がある。
7. ミラクルつばさライト
 ニコが「みゆき、私に勇気を分けて」といったときに生まれるミラクルつばさライト。「みんなの、笑顔の力をプリキュアに!!」プリキュアを包むつばさライトの光は笑顔の力の表れ。
8. ウルトラキュアハッピー
 ハッピーが翼を得たパワーアップバージョン。笑顔の力に包まれたハッピーは、自らもまた「笑顔で包む愛の光」となった。降り立った荒野は一瞬で花に包まれ、ロイヤルレインボーバーストを弾き返す程強力な魔王のエネルギー弾を一瞬で消滅させる圧倒的な力を持つ。
9. つばさデコル
 ラストで絵本の上に現れた1枚の羽根は、つばさデコルに変わった。

「本当の心」としての純白の羽

 元々、スマイルプリキュアと翼・羽根には深い関係がある。コスチューム、髪飾りや耳飾りに翼があしらわれ、初変身の瞬間やOPには羽根が舞い散るカットが加えられている。
 映画冒頭のシーンも、羽根から始まっていた。
 暗闇の中に光が生まれ、それが1枚の羽根に変わり、幼いみゆきの元に届く。羽根はみゆきを絵本へと導き、最後のページを開いて消えた。魔王の城に囚われたニコの助けを求める思いは、羽根の形をとってみゆきに届いたのだ。純白の羽根は、ニコの純粋な心であった。
 ニコは、自らの物語の終わりを見失い、憎しみに囚われ、憎しみを周囲(絵本の登場人物たち)に伝染させて、みゆきを激しく非難し、プリキュア達を攻撃した。
 しかしハッピーをはじめとするプリキュアたちの誠実な、無償の愛のみを原動力とする行動に、彼女の閉ざされていた心はついに動いた。
 遂にはニコの盾となり、真っ向から魔王の凶弾を受けて倒れたハッピーを抱きあげて、ニコは必死に叫んだ。

「お願い、みんな、力を貸して。みんなの笑顔の力を、プリキュアに!」

 映画の冒頭で現れたニコの純粋な心――一枚の羽根は、最後に世界の皆の力を集め、巨大な翼となって、プリキュアを立ち上がらせ、世界を救ったのである。
 ただ、翼は心のあり方によって正反対の意味に変わってしまう。憎しみの心そのものである魔王や影において強調されて描かれているのは、その蝙蝠のような漆黒の翼である。

ニコの謎

 そもそもニコとは何だったのか。ニコは翼を持つ動物が暮らす世界の住人であるにも関わらず、翼を持たず、一人だけ人間と似た形をしている。物語の中の扱いがどのようなものであれ、彼女が物語の中で異端な存在であることは明白である。しかし、それについての説明は一切ない。一体、ニコとは何者だったのか?
 ストーリー上、ニコは「不完全な存在」でなければならなかった。魔王に囚われて「真っ先に笑顔を無くした」り、「自分の物語を自分でやめて」しまう存在*1でなければならなかった。さらに、自分自身の選択の結果でしかない自分の現状の責任を他人になすりつけ、苦しみや辛さをその他人にも味わわせようとする存在でなければならなかった。
 そんな弱い存在を我々は身近に知っている。それは、他ならぬ映画を観る我々自身の一側面であり、この映画を観る子供たちの一側面である。我々に似た存在であることを表現するために、ニコの姿は出来る限り鑑賞者にとって身近な形でなければならなかったのではないか。

不完全な勝利の女神

 ニコの髪は翼によく似ている。後姿はまるで翼をたたんだ鳥のようだ。私はその髪型を観て、ふと、サモトラケのニケに似ている、と思った。サモトラケのニケは、ギリシャで発掘された勝利の女神ニケの彫像である。頭部と両腕を失い、不完全な姿のままで現在ルーブル美術館に展示されているという。失われたその顔と腕はどんなものだったのだろうか。彼女の像は観る者の想像をかきたてずにいない。もし、彼女が完全な姿で発掘されれば、現在のそれよりも、はるかに価値のある美術品となっただろうか?
 最後に笑顔を取り戻すことができたニコは、いつも、憎しみの心そのものである「魔王」と一緒だ。魔王といることを選択したニコの笑顔は、時にまた失われるかもしれない。不安定で、迷いの多い存在であり続けるかもしれない。しかし、自らの物語を自らで作っていくことを決意した彼女の笑顔は、その都度自らの力で取り戻されるはずだ。そんなニコの物語は、頭部と両腕を失いながらも――いやむしろ、だからこそ、「傑作」として、世界一の美術館に燦然と輝くサモトラケのニケの像に重なって見える。

*1:牛魔王が、影に操られた主人公達に向かって言った言葉。ニコもまた、自ら自分の物語の終わりを無くしてしまったのである。本解釈に関して詳細は前回の感想をご覧下さい