タバコの話

タバコを吸う習慣はないが、タバコの臭い自体はそれほど嫌いでもない、いやむしろ好きかもしれない。タバコの臭いは、昔の父親の姿や、帰省したときに泊まった保養所の朝のロビーとか、旅行の電車の中や、高校の頃に通った地元の碁会所を思い出させてくれる。子供の頃から、自分にとってそれは、日常から少し離れた、大人のカッコイイ臭いだった。

ニコチンの依存性やら副流煙の害などは度々学校でも教えられてきたし、喫煙という行為は中毒症状によるものでしかないことは認識しているつもりなので、喫煙はしないようにと思っていた。タバコの臭いから嫌いな人ならそもそも吸う気も起きないだろうからよいが、自分の場合間違いなく危険なのである。

しかしこの間、前カノに残りの荷物を渡すために会ったとき、折角だからと居酒屋に寄ったのだが、酒が入って何だか投げやりな気分になって、前カノが吸っていたタバコを一本もらって吸ってしまった。
タバコは嗜好品ではないという考え方がある。例えば洋酒風味のケーキというのはあるが、タバコ風味のケーキはない。そんなものは喫煙者だろうとまずくて食べない。喫煙者はタバコの味を楽しんでいるわけではない。タバコの味を純粋に楽しんでいるならタバコは嗜好品だといえるかもしれないが、そうではないのだから嗜好品ではないというわけだ。
しかしその時吸った、火に燻されたタバコの葉の複雑な香りは、頭がふらっとするような感覚を伴って、副流煙を吸うのとは全く根本的に異なる未経験の美味さに感じられた。火で直接炙った魚や肉の味はグレードアップすると思うのだけど、その感じとそう変わるものではなかった。あれ、まずいんじゃなかったのかと素で不思議に思った。
どう吸うのか、灰を落とせばよいかを教えてもらいながら吸っていると一本はあっという間になくなった。その後に口の中に残る苦さというか渋さというか、その感覚は煙を吸ったときの美味さとは雲泥の差で正直まずいとしか思えなかったが、これはこれでアリだと思った。

勘定を済ませた後、タバコの自販機に、ご丁寧にライターまで売られているのを見て昔父親が買っていたマイルドセブンをライターと一緒に購入してみた。

こうして僕は喫煙者になりました、という話ではない。買ったタバコは数本吸ってすぐに箱ごと捨ててしまった。ニコチンを渇望する喫煙者の悲惨な姿(注)を思うと、さすがに喫煙者になろうという気にはなれない。
恐らく、捨てなければヤバかったかもしれない。翌朝には早くも、それが中毒症状であろうとなかろうと、タバコを吸いたいというかなりハッキリした思いが僕の中に生まれていたから。
ただ、今回タバコを吸いはじめるきっかけだけは、実に生々しく体験してしまった気はする。これからも喫煙者にならないよう、注意しておかなければと改めて思った。


(注)ガスの残りが尽き、火がつかないライターを咥えたタバコの先でいつまでもカチカチならしてる老女、ファーストフードの店で禁煙の時間帯が過ぎ、店員が灰皿を持ってきたときに満面の笑顔で「命の皿が来た」と言った知り合い、グループ面接が終わった後で強い尿意を催して慌ててトイレを探す人のように喫煙場所を探して、タバコを吸って安堵感にあふれた表情を見せた受験者などなど。