僕はこの言葉を最初に見たとき(多分高校生の頃くらいだと思うから、もう30年近く前だ。)から、このシンプルで名言らしくもない忠告?が、逆に気になって頭に残っていた。繰り返しツイッターやブログでこの言葉について言及してきた、と思っていたのだが、案外このブログの過去ログにはどうもないようなので、せっかくまた思い出したタイミングで記事にしておこうと思う。
表題のジョンの言葉を自分なりに訳すとすればこんな感じか。
ザ・ビートルズーーもしくは60年代ーーからのメッセージがあるとすれば、それは「泳ぎ方を学べ。そして、学んだら泳げ!」というものだろう。
正直コンテキストもよくわかってないし、この言葉を単独で読んだところでジョンの意図がどこにあるのかは今ひとつ分かりづらい。そもそも、突然「泳ぎ方」について語り始めたので、文字通りの意味を取ろうとしてもやや分かりづらいというのはある。仮に、この言葉を、「上手く泳ぐにはどうすればいいですか?」という質問に対する回答とみなしたとするならば、「ビートルズ(というかジョン・レノン)による水泳の上達方法に対するアドバイス」ということになる。そしてこれを一般化すれば*1、「ジョンによる、何らかのスキルの上達方法に対するアドバイス」ということになる。
自分の趣味にせよ勉強にせよ仕事にせよ、スキルの上達という課題には常に直面し続けることになるが、このジョンのアドバイスに対して、そんなこと当然だろう、と嘯いて、深く考えずにスルーしてしまう人もいるのではないかと思うが、よくよく読んでみると実際には味わい深い言葉なのである。
1文目「泳ぎ方を学べ」。極々当たり前のメッセージだ。さて、実際のところ、この当たり前の言葉を実践できている人はどのくらいいるだろうか。泳ぎを上達しようとした人が「泳ぎ方を学べ」と言われても、自分はそんなこと知っている、と思うのではないか。そして、ただ我流で泳ぎ続けて、疲労困憊しても、一向にタイムが伸びずに悩むのである。人は、上達のどの段階においても、自分が知らないことがあり、そしてそれを新たに学び続けなければならない*2。ジョンが言っているのはそういうことなのではないか。
さらに、2文目の「学んだら泳げ」の部分。一旦学んで知識として取り入れてしまうと、それだけでわかった気になるのが人の悲しい性だ。「学んだら泳げ」。これはつまり、学んだことを身体に覚え込ませるということだ。囲碁で言えば、「詰碁を解いた時に解いただけで満足してしまう」こと。これは学んで泳がないわかりやすい一例と言えるだろう。詰碁は一度解いただけでは、読みのエクササイズにしかならない。もちろんその中で個人的な学びはあるかもしれないし、それだけでも確かに伸びるところはあるだろう。しかし、詰碁で大事なことは、その詰碁で出てくる筋を身につけることである。このことを知らずにただがむしゃらに詰碁を解いていくだけでは、超人的な記憶力がある人であったとしても、残念ながら非常に効率が悪い。つまり、詰碁は解くだけでなく、そこで出てきた筋が実戦で現れた時に確実に応用できるように、筋を身につける努力をしなければならない。学んだことを、実際に使えるようにするための努力をすること。それが、「学んだら泳げ」の意味だ。
ドラムの方がより水泳に近くてわかりやすいかもしれない。例えば、スネア→ハイタム→ロータム→フロアタムを16分2連ずつ叩くような典型的な2拍のフィルがあったとする。それをBPM130で叩いてみて、できるようになったとする。それでできたと思ったら、全然大間違いで、実際に曲の中でそのフィルが登場した時に叩けなければ全く意味がない。そこでBPMを少しずつ上げながらフィルを練習したり、あるいはそのフィルが曲の中で現れるような曲を叩いてみて、確実に叩けるように地道に練習すること。それが学びの後の泳ぎである。
自分の場合、この「学んだ後の泳ぎ」がなかなかできていない。囲碁が中途半端になっているのはまさにそのためだ。いろいろ勉強をしてきたつもりではあったし、詰碁も解いてきた。しかしそれを実践的な知識として自分の中に定着させてくる努力が決定的に欠けていた。
高校の頃に出会ったジョンの言葉。未だに、実際のところジョンが何を言おうとしていたのかその真意はわからないままだ。それでも、自分が囲碁であれ、音ゲーであれ、仕事であれ、何らかの趣味であれ、スキルを上達させようとして壁にぶつかる時に、この言葉をふと思い出す。