クヨクヨせずに反省する方法

藤井聡太七段の師匠杉本昌隆八段がテレビで以下のようなことを言っていたようだ。

 実際見ていたわけでもないし、テレビの伝え方というのは結構歪曲されているケースがあるので鵜呑みにすることはできないのだが、真実の一端を伝えている感はある。

面白いのがプロ棋士に向いている要素として「負けず嫌い」かつ(または?)「負けを忘れる」というところ。これがAND条件なのかOR条件なのかはよくわからないが、おそらく多かれ少なかれ両方兼ね備えているのがよいという意味ではないかと自分としては思う。どちらかだけでも続けるのは辛い。というのは、負けず嫌いというのは負けた時のエネルギー消費が多すぎるし、負けを忘れると反省もしなくなる。どっちが欠けてもダメ。この、一見矛盾する命題を同時に満たすことが、勝負事を継続するためには必須なのだ。

具体的に、自分なりに表現すると、「負けた後に悔しがるのはよいが、くよくよしてはいけない」ということだと思う。

「自分はなんて弱いんだ」、「やっぱり自分にはセンスも才能もないんだ」、「努力も足りないんだ」と、結果から特に定量的な分析もせずに自己否定に飛躍する=くよくよすること。

「反省」と「くよくよ」はどちらも過去を振り返っている意味で似ているようだが、似て非なるものだ。反省は理知的な分析であり、感情的な後悔とは異なる。反省に自己否定は一切不要だ。もちろん成長というのは既存の自分の殻を破るということだから、それは意味としては自己を否定しているようにも見える。しかし、それは「結果的に否定になる」ということであって、「スタート地点が否定」というわけではない。この2つを混同してはならない*1

 

ちょうどそのような理想的な状態を本日自分は体験できたと思う。なんか囲碁クエで4連敗くらいした。本当に負けることはイラつくことである。しかし負けてしまったら、それを引きずる必要はない。うーん、負けが込んでるな、と、他人事のように客観的に振り返る。何かがもしかして足りてない?だとしたら何だろう?… そのように、分析フェーズに入ること。ここがポイントだ。

すると必ず気づきがある。皆必死でやってるのに、そう簡単に勝てるはずがない。自分は早打ちでやけくそになって打ってなかったか?九路盤はちょっとのミスが負けに直結する厳しい世界だ。そんな中で、焦って着手を繰り返してもダメだ。そもそもちゃんと読んだのか?目算したのか?・・・云々。

このフェーズを、冷静に、客観的に、感情的な自己否定一切なしでしっかりやること。すると、次やるべきことが見えてくる。まさにこれが、負けず嫌いでかつ負けを忘れるための手段でもある。

 

 

 

*1:ちなみに自分は結構ずっと、ずーっと混同していた