情報を多面的に見るということ

ネット時代になって、より真実に近づけるかと思ったが、実際のところよりあやふやになってきたという思いを持つ人はないだろうか。今まで信じていたものが、ネットの情報を通じて何やら根拠の乏しい一面的な情報に過ぎないことが判明すると、むしろそれまでの自分の知識の基盤すら揺るがされることになるわけだ。
とにかく事実というものは複数の側面を持っているということが、ネットによってより強調されたというのはあるんじゃないかと思う。
では信じてよいものは存在しないのか?すべての情報は一面的なのか?*1
私の考えでは前者の問いへの答えはNoであり、後者の問いへの答えはYesである。
信じてよいものは存在する、というか、我々は自分以外のものを信じなければ生活していくことができない。他者を信じるということは恐らく単に情報の真実云々以前の人間が社会生活を営む上での大きなテーマなんだと思う。深くは立ち入れないが。
全ての情報は一面的か。仮に複数の側面について解説した文書があったとして、その情報の発信者というものは一つである*2。あらゆる情報が発信者を伴う限り、その情報は発信者による制限を受けていると言える。

つまり我々は、情報それ自身に対してはある程度の信を置くが、ただしそれが一面的であることは予め弁えておく必要がある。これは決して矛盾しない。円錐は、下から見ると円形だが、横から見ると三角形だ。円錐を見た二人が、それぞれ「円を見た」「三角形を見た」といっても、二人とも嘘はついていないのである。

ネット時代においてはとりわけ、些細な情報であっても、一歩引いて、それが一面的な情報であることを必ず念頭に置いた上でそれに接するべきだろう。

ネットによって、自分自身もまた情報の発信者となることが容易となった。では情報を発信する際に弁えておくべきことは何か。このことについてはまたいつか。

*1:別にこの問いはネット時代とは特に関係ない、普遍的なものだろう。ただネットによって強調されたというだけの話だ

*2:一人であるとは限らない