人生どう生きるべきか

いきなり大上段の構えという感じですが、最近スティーブ・ジョブズの言葉を耳にしたのでそれについて感じたことを。
スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)

私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。

一方、上海アリス幻楽団のZUNさん(神主)の言葉にこういうものがありました

 でももっと究極の目標*1として一般的な物があります。

  それが「死後の生活を良い物とする」です。

  死後の生活を良くしたい。地獄に落とされないようにしたい。だから世の中に貢献
 したい。だから多くの人を喜ばせたい。だから面白いゲームを創りたい。だからこの
 日にこういう内容のゲームを発表したい。だから何時までにこの作業を終わらせなけ
 ればいけない。と、目標が連鎖するのです。

たまたまここで言及した「死後」観が正反対なのが面白いと思います。
ジョブズは「ありとあらゆる物事は」「死んだ瞬間に全てきれいさっぱり消え去っていく以外ない」といい、神主は「死後の生活を良く」するために、「世の中に貢献したい」と言っています。
さて、どちらの考え方が一般的なんでしょうかね。
神主の考え方については、死後の自分と生前の自分との連続性をおぼろげであっても信じていなければ、恐らく共感を覚えることはできないかもしれません。しかし、日本人に限らず、多くの人の死生観としてそのようなモデルはある程度共有されているものではないかなと思います。むしジョブズの宗教色の感じられない合理的な観点は少数派なのかもしれません。

ちなみに、私は特に仏教徒というわけではありませんが、輪廻転生的な死生観を持っています。最近あまり見かけないですけど、江原啓之さんが主張しているスピリチュアル的な死生観には納得させられたのでそれが元かも。必然的にジョブズの主張とは相容れないものがあります。

*1:「今の目標の存在理由」