線コンプレックス

「線」がとても下手くそだということがわかった。
曲線を描くと、その余りの醜さに愕然とする。僕は消しゴムとか重ね描きとか駆使して絵の最終的な形状を作り出しているが、それを一本の線で描けなければならないと思う。少なくともそう自分はなりたいと思っている。
しかし今線を描くとそれはなんだか自分自身そのものを端的に表しているかのように思える。最初の自信なさげなよれよれのスタート、まっすぐ描いているつもりでもどこか曲がったり細くなったり太くなったりして、最後の払いの部分は滑稽な形で途切れている。線は自分自身を(というより、結果的に絵に対する自分自身の態度を)そのまま投影してくれるらしい。
線が絵の最小単位だ、とは言えないかもしれないけど、少なくとも線画の最小単位は線だ。その線が醜ければ、どうして絵が美しくなるだろうか?

そう考えてみると、書道で昔聞いたような、字が精神論と結び付けられるようなそんな話もなんとなく納得できるというものだ。優れた書道の作品が今、ぜひ見てみたいところです。あんま見る機会ないし。そういえば麻生前首相の字が綺麗だったなあ。

自分の線で構成された自分の絵は必然的に自分の個性を写し出す。でも僕の今の絵は、線を何重にも重ね描きして個性を打ち消して強引な格好で無理やり構成したものだ。それ自体がある種の個性を表すといえばそうかもしれないが、僕はそんなものは求めてはないのだ。

まずは線をきれいに描けるようになりたい。それがないと話が始まらない、気がする