屠殺・肉食について

もうこの件については正直、考えが全く定まっていないので文字通り脳みその垂れ流しという具合になりそうですけど。
個人的には、牛肉がスーパーのチルド棚に並ぶまでは知っておいた方がいいんじゃないかと思ってますが、一般的にそうなのかどうかは自信を持っては言えませんね。
それは携帯電話のメカニズムを携帯を使う人が知らなければならないかどうかといえば、それは知る必要なんて普通はないはずで、肉の出自についてもそれと似ているような気がしています。
ただ、こういう「生きる」ことに直結していることについてはまた違うのかな、という気もしています。

命を戴いて生きている、という事実はおそらく事実だといってしまってよくて、仮に全く何も食べずに生きている人間がいたとして、人間である以上はほかの人の命を戴いて生きているといってよいかと思います。
社会の一員であるということはそういうことかなと。
例えば自分の立っている道路を作る際に、また食べる野菜の流通の過程で、着ている服が作られる過程で、事故が起きて人命が失われたかもしれない。食べることは直接命を奪うことですが、間接的にはわたしたちは他人の命の上に生きている。

念のため、間接的に命を奪っているのなら直接奪ってもいいじゃないのという議論ではないです。
そもそもいい悪いの議論でもないです。ただ、こういう観点に立つことは大事かと思います。

現在の日本における屠殺がどのように行われているのか、寡聞にして全く知らない自分ですが、動画で海外の、牛の屠殺についてはいろいろと観ることができました。
その一例を文章だけで紹介すると、牛が逆さ吊りにされてもがいているわけですが、その首を刃物で一突きすると、信じられない程大量の血液がその傷から噴出します。人間なら間違いなく即死ではないかという量です。ってあんまり意味のない仮定ですが。逆さ吊りにしていたのはおそらく牛の上半身(?)に血液を落とすためなのでしょうが、巨体の牛の生命力は凄いものでこれで即死というわけにはいかないようで、かなり長い間、その四肢が硬直と弛緩を繰り返していました。
この映像はかなりインパクトがあり、これを見た後に牛肉のステーキを食べる機会があったのですが、食べている間中、この映像が頭の中をグルグル回っていました。とはいえ、そのステーキは大層上手に作られていて、しっかり美味しく戴いたわけですが。
ちなみに、他の動画を見ても、恐らく牛の首を突くのは人間の頸動脈を切るようなもので、あそこを切れば体勢の如何にかかわらず大量の血が噴き出すようです。
しかし、このように、凄惨としかいいようのない現場を、動画を通して目にすることができたとして、それがどれだけの意味があるのか、未だにはっきりとは言えません。ちなみに、The Beatlesポール・マッカートニーが「屠殺場の壁がガラス張りになれば、人は皆ベジタリアンになるでしょう」といった意味のことを発言しているそうです。
人間が野生だった頃の文化の負の側面が生き残っていると解釈するのか、人間として当然のことをしているだけだとするのか。まだまだ考えが足りてません。