ケータイ小説あれこれ

ケータイ小説は従来の文学の中で新しい分野を確立しようとしているかどうかはともかく、文学がケータイというツールを通してより広い文脈の中で捉えられるようになるという、きっかけを提示しているような気がします。
文学の研究をされてる方からするとどういう見方をするのかわかりませんが、おそらくそのあたりもまだ定説はないんじゃないかと(全く憶測ですけど)。というか既存の文学の立ち位置からは評価しにくいものではないかと。
濱野さんのような、“情報社会”とか“情報環境”といった何やら広い視野をもった立場からでないと、全貌を捉えきれないんじゃないかと、漠然と感じています。
先日話題になった「あたし彼女」についてはあからさまに新し過ぎる文体に、ケータイ小説やこういうヒロインの女性の住んでる世界と縁遠い一般の人々はかなりショックを受けたんじゃないかと思います。素人目から見ても、新しいモノの誕生に立ち会っている感じがして実にエキサイティングだと思います。といいつつ、私自身は「あたし彼女」はまだ165ページまでしか読んでないんですけど。生生し過ぎて(エロという意味ではなくて)、初めての「恋」という設定だからなのか、100人以上と性交渉を経ている割りにウブ過ぎて、もう耐えられません。普通の顔して読んでいられません。