小説の面白さに気づいた

小説に興味がないわけではなかったんだけど、詩や短歌/俳句と違って、一作品の分量が断然多い小説は、読む際のリスクがメリットよりも遙かに大きいような気がしていた。最後まで読み切るのに費やす時間と忍耐を考えると食指が動かなかった。

だいたい、小説というのはタイトルが無駄に味気無いように思う。例えば『理由』という小説の評判が高いということだが、少なくとも自分にとってこのタイトルの文字列は、例えばコンビニのおにぎり1つ分程の魅力に劣ってしまう。何について書かれたものなのか、タイトルは何も示してくれないのである。

ちなみに、そういう意味では、テレビゲームも同様だ。テレビゲームもタイトルだけを聞いても(小説程捻ってはいないかもしれないが)、何のことやらさっぱりわからない。

一方で、美術作品や、詩など、大抵の作品は一目で全体を把握できるジャンルは自分にとって抵抗なく入れる分野だった。そうではないジャンルからは自然に距離を置くようになっていた。(ただ、音ゲーだけについては例外。これはまた別に幸運な出会いがあった。)

そういうわけで、小説を読むというのは、何か副次的な意味がある、あるいは作家自身に興味があるなど、そういう本編とは別の、自分にとって意味がある理由が付与できる場合に限られていた。『狼と香辛料』というライトノベルを手にとったことも、自分にとって近しいと感じている2人の先輩が勧めてくれたということがなければ、ありえなかったと思う。

読むからには先輩方に一言であっても、誠実な自分の感想をきちんと伝えられるようでなければならないと思った。自分にとって無意識ながらも苦手意識をもっていた、字句を追い想像力を働かせることへの「忍耐」もうけいれなければならない。・・・日常的に小説を読んでいる方にとってはむしろ不思議に思えるだろう。しかし実際、自分にとって小説を読む際には、ある種の「覚悟」が必ず伴っていたのだ。

しかし読み始めてみると、そこに現れたのは今までの読書体験とは全く異なる世界だった。僕は、五感を通じて本の中の世界を体験できた。馬車の振動を感じ、葡萄酒の香りをかぎ、ホロの美しい肢体に目を奪われた。ポケットにも収まるような小さな文庫本は、まるで魔法の箱のように、中世のヨーロッパを彷彿とさせる、美しい別世界を眼前に拓いてくれたのである。それまで自分の中に鬱積していた小説への偏見を吹き飛ばすのに十分な体験だった。

この作家が、特に描写力に秀でていたかどうか、というのは何とも言えないし、何がこのように小説体験を今までと違うものにしたのかもよくわからない。しかしそれはどうでもよいのだ。
僕は今まで全く気づいていなかった小説の中の果実に、偶然気づくことができた。この無機的な薄い紙の集まりを傍に置くときの感覚は、幼稚園の頃にねだって買ってもらった戦隊もののロボットの玩具に当時の自分が向けていたそれに似ている気がする。

さて、これから小説バンバン読むぞ。今までの分を取り返すように。