本の価値

自分は、自分のためになる本については基本的に出資は惜しまないで、あまり金額は気にせずに買ってしまうことが多い。
例え読む時間がいつなのかとかわからなかったとしても、今必要そうだと思うと買ってしまう。しかし必要そうだと思わない本には目もくれない。だから選ぶのは基本的に速い。

ちなみにここ一ヶ月で買った本は、5S、神道、失敗学、平野啓一郎(小説、エッセイ、対談)、碧巌録、歎異抄、定時に帰る仕事術、広告、デザイン、OCaml、Effective Java梅田望夫、ネーミング手法、松下幸之助、テスト技法x3、オントロジーなど、全くもってカオスだ。

こういう習慣は高校の頃から基本的に余り変わりはないが、当時自分の手元になかったインターネット環境が今は一日中接しているのにも関わらず、本は未だに自分の中では今はインターネットの情報とは比較にならない程の充実さと質と価値を誇っていると思える。
それは単に、インターネットの可能性が未だ完全に拓かれてはいないためであって、もっと進歩すれば本の価値というのは相対的に低下していくものなのだろうか。あるいは、本とインターネットを経由して取得しうる価値の間には超えられない壁があって、本は永久にインターネットの情報に対して優位性を保ち続けるのだろうか。

例えば、自分が親になったとき、子供に本を買うための費用には惜しむなと断言できるだろうか、と考えたりする。
先日「情報物」という概念をこの日記で持ち出したが、本というのはまさに「情報物」であって、その内容は容易にデジタル情報に変換でき、情報としての価値は全く等価であるといえるだろう。では、情報を抽出すれば本は不要になるのだろうか?あるいは情報とモノが結びつくことで、全く別の価値が生まれているのだろうか?