英語を日本語に訳すために

英文に出会うたびに思うのは、いかにこれを日本語っぽく訳すか、ということ。邦訳の文に残る“英語臭さ”を排除したいのだ。
殆どネタではないかと思う程酷い「日本語訳」に笑わ苦しまされるのをどうにかしたい、というのもあるが、自然に意味が理解できる優れた翻訳であっても、「英語の邦訳っぽさ」はどうしても残る。その日本文が翻訳かそれとも最初から日本語で書かれたものかは、大抵の場合すぐにわかってしまう。
現代の日本語の語彙や言い回し、構文など様々な部分で「英語的」な表現が一般的なものとして取り入れられているというのは事実だろうが、日本人が自然に発する言語に近づけたいと思っている。

例えば

While there are as many different possible interview questions as there are interviewers, it always helps to be ready for anything. So we've prepared a list of 100 potential interview questions. Will you face them all? We pray no interviewer would be that cruel. Will you face a few? Probably. Will you be well-served by being ready even if you're not asked these exact questions? Absolutely.

この文は、100 Potential Interview Questionsというページの導入部分が、この短文を「日本語っぽく訳す」のは難しい。まず、2つ目の文の出だし“So we…”はどう訳すか。
だから、我々は」と訳すと、もうなにやら違和感がある。
共著論文でもないのに、一人称を「我々」とか「私たち」とする文はちょっとおかしいのではないか。だいたい、ここに一人称は果たして必要なのか。また、「だから」という接続詞。ここに「だから」は必要だろうか。日本文に訳す作業をはじめて気づくことだが、そもそも英語の文は非常に説明的でくどくどしいことが多い気がする。接続詞なんてなくても通じるところでもしっかりとつけているので、これを日本語にそのまま直すと説明臭い文章になる。

また、3文目以降の“自問自答形式”も実に英文的な構成だと思う。
この100個の質問を全て尋ねられるでしょうか?面接官はそこまで厳しくはないでしょう。この質問のうち何問かを尋ねられるでしょうか?恐らくそうでしょう。・・・
確かに日本語ではあるけど、どう見ても不自然な気がする。調べたわけではないけど、普通の日本語の文ではあまりこういう露骨な自作自演は見ない。
日本語で同じ内容を表そうとするなら、
この質問全部を聞いてくる厳しい面接官もいないでしょうが、このうちどれかを聞かれる可能性は非常に高いはずです。
とスラッと書いてしまうだろう。
文の前半の「100個の質問全部を聞いてくる面接官はいないと思われる」というごく当たり前のことをわざわざ書くのは、個人的にはアメリカンジョークに近いと思うし、Will you ...? という文を3つ重ねることによるレトリカルな効果を狙っているわけだから、日本人が同じ内容を書くなら、この部分を完全に抜かしてしまうことになると思う。したがって、
面接ではこのうちどれかの質問は聞かれると思います。
これで終わらせるのが、日本語的な訳し方だと思う。
最後の文は“Absolutely.”一言で終わっているが、これを一文だからと思ってそのまま「その通り。」と訳すと、単語単位で見ればなかなかこなれた訳語だとは思うが、全体としてみればこんな滑稽な日本文はないという典型的な例になると思う。

とりあえずまとめ

文法的に正確に訳しても英語臭さが残るのは文の構成自体が異なっているからだと思う。従来は英語の単語に対応する日本語を当てはめて、文法に従って直すことが和訳の基本だったのではないかと思うが、英語の文の構成に対応する日本語の構文というものを当てはめて、それにしたがって訳すことで、より英語臭さが抜けた訳を作ることができると思う。


このテーマは今後も追っていきます。