「おおかみこどもの雨と雪」を観て感じたことなど

串焼きの話

映画の中に串焼きが何度か出てくる。花がおおかみおとことの同棲生活の間によく作っていたと思われる料理だ。セリフのないシーンでしか登場しないこの串焼きだが、これを好んだおおかみおとこへの花の思いを表すと同時に、ガラスのコップ (?) に入れたタレに漬けるという食べ方の独特さは、生々しくリアルな家庭の姿の一種の象徴として一役買っている。
アニメーションは絵から構成され、絵は「記号」である。記号は表現者と鑑賞者との共有を前提とする。花の家庭独特の文化は、映画の観客であるわれわれの前提にはない文化である。アニメでこのような新しい記号を提示する際には必然的に言葉による説明が必要となるはずだが、われわれはこの花の料理の意味とそこから漂う家庭の匂いを、台詞のないアニメーション映像のみで何の苦もなく自然に受け容れることができる。

実写志向?

この串焼きの表現をアニメで行うには相応の困難が伴うだろうが、一方で実写でやろうとすれば、撮影技術などを別にすれば作画の困難を省くことができるのではないかと思う。では、細田監督はなぜこれを実写でやらなかったのだろうか?
これはアニメ「らしい」演出が多用された前作サマーウォーズを観たときにさえ感じたことだ。特に仮想空間OZ上のアバターの表現はまさにアニメ向きで、アメコミのように動作を極端に誇張されていたし、ラストシーンの鼻血などまさにアニメや漫画の「お約束」である。しかし本作ではそういった演出が殆ど用いられなかった印象がある。細田監督の作品はある側面では現実をナチュラルに、またリアルに描き出す傾向が強いと感じていたし、専門の声優を余り起用せずに専ら主要キャラクターのCVは俳優に担当させていたことも思い起こされる。
そういえば、この作品は、声優と劇中キャラクターがよく似ている。監督自身、宮崎あおい大沢たかおに会った時に花に会えたみたいなことをいっていたと思うから、当初意図していたものでもないのかもしれないが、この2人に留まらず韮崎のおじいさんやその他モブの大人たち、また雨と雪についても本当によく似ていると感じた。あたかも彼らを俳優とした実写作品が想定されているかのようにも思える。細田監督は、アニメーションではなく実写の映画監督への過渡期にある、ということなのだろうか?

アニメ勝利宣言

幼少時の雨と雪が、引越し前の都内のアパートの狭い部屋の中で走り回る姿はいいようもなく愛らしく、またとても自然な動きに見えた。その動きが実際に「リアル」かどうかは僕には判断できないが、犬や猫の好きな自分にとって、このこどもたちの動きはとりわけ印象的で、映画を観終わった後も思い返すともなく幾度も思い出された。奔放なおおかみこどもたちの、この弾けるような走りは、恐らくアニメでなければ実現できない「本物以上に本物らしい」動きの表現である。
映画の中盤に、冬の朝、一晩にして積もった雪に喜んだおおかみこどもたちが真っ白な山を滑り降りるシーンがある。最初服を着た人間の姿で走りはじめた彼らが、途中で狼の姿に変わり服を脱ぎすてて雪山を駆け下りていく。時間にして5分に満たないと思われる短いシーンだが、そのスピード感、爽快さ、開放感。まるで自分がそこにいて彼らと一緒に走っているかのような錯覚すら覚えさせる、まさに圧巻の一場面である。
アニメーションの本質は動きの表現だと思うが、真っ白な雪の中での彼らを描くアニメーションは一際冴え渡っていたと思う。そして、彼らの歓喜の遠吠えは、アニメという表現手段において実写の表現を手中に納めた上で、さらにそれを超えた表現を描ききった細田監督の高らかな勝利宣言のようにも感じられるのである。

(※この感想は一度だけ観た記憶を元に書いた印象に過ぎません。記憶違い、勘違いなどの箇所があるかもしれませんが悪しからずご了承ください。)