食べ物を残すこと

高校生以前は「もったいない」いう気持ちや食い意地がはってたこともあって、残すことは回避していた気がする。
しかし大学以降は飲食店でバイトしたり、自炊を始めたり、好き嫌いの非常に多い子と付き合ったりとで、食べ物を残したり、食材を手つかずで捨てることに次第に抵抗がなくなってきた。自分なりの理屈をつけて合理化するようになっていたのかもしれない。
食べ物を残すという行為にどういう意味があるのかということについては、また食べ物以外の商品で喩えて議論することはできないのかもしれない。やはり食べることは、生きることと切り離せない根源的な行為だから。これも以前、屠殺の話題を出した時に似たようなことをいっていた。

合理化の仕方

「まずいものをわざわざ食べる必要はない」
「残さないために不快な思いをする必要はない」
「自分が残さないという行為は日本全体から見て余りにも無力」
「なんで残したらいけないのかわからない」

玉虫的な何か

暴論のように見えなくもないが、なかなか反論しにくい、というか、ほぼ価値観の問題に近く、白黒はっきり付けられる問題でもなさそうだと思う。ただ、自分が納得できるならそれでいいという問題でもなさそうな気がする。
世界の少なくない人たちが、これと真っ向から反する意見を主張しているのだとすれば、その立場は理解したいし、自分の立場を変えてでも歩み寄る必要性さえ、検討の余地が生まれるかもしれない。いやいや、常にそうであるべきだ。