欲求/不満の本質

欲求不満の本質でもいいけど、欲求の本質もしくは不満の本質です。

欲求とか不満とかいうのは、恐らく何かが欠乏していて、その欠乏を埋めようとする人間の反応なんだろうけど、だから空腹時には何か食べたくなり、起きている時間が長くなると眠くなり、溜まってくるとやりたくなるのだ。(←

ただ、そういう生理的欲求はともかくとして、それ以外の欠乏については、それを埋めるためにはどうすればよいか、ということは案外わかっていないことが多いんではないか。

2度程、前の家に住んでいて、深夜にひとりうとうとしていたときだっただろうか、全く原因不明の強烈な「不快感」に襲われて戦慄したことがある。
それは「疲れ」とも「眠気」とも「痛み」とも「空腹感」とも「精神的な苦痛」とも全く異なっていた。ただ、全身を覆う、強力な何らかの「不快」のシグナル。そのなんとも形容しがたい不快感は、居ても立っても居られなくなるほどだったが、原因がわからない。

自分はちょっとした、というか心底の恐怖を味わった。この原因不明の不快をどうすれば解決できるのか。
誰か近くにいてほしいとも思ったが、いたとしてこの不快感が軽減するとは全く思えなかった。毛布を全身かぶったり、部屋の明かりを消したり、音楽をかけてみたり、何か飲んでみたり、様々なことを試してみたが、いっこうに変わらない。果ては念仏でも唱えたくなった。

もしこの不快がさらにその度を増していたら、僕は深夜に部屋を出て走り始めていたかもしれない。
思えばなんだかタミフルっぽい気もする。そう、もしこのとき自分が高層マンションのような場所にいたとしたら、この意味不明の全身を襲う不快感を取り除くためにマンションから飛び降りていたかもしれない。

とにかく自分は気を強く持とうと、頭の中で(落ち着け、考えろ、考えて原因を除け、ここで知性が問われる、思索することが命を救う)などと、必死で反復していた記憶がある。

結局、なんとかその不快感はいつのまにかなくなっていたが、それはまさに自分が身をもって味わった原因不明の、名状し難い「欠乏」だった。

今思うと疲れと睡眠不足と○○○○のし過ぎが綯交ぜになってこのような強烈な不快感を招いたのかな、とも思うが、別にこのような特殊な例を挙げるまでもなく、人間が「欠乏」に対し、それを除く術を見失っていることは、それを意識するかしないかはともかくとして、誰もが経験することではないか。

つづこう。(←