博士ちゃんのエジプト博士を観た

生物の「意志」が進化に繋がる。

植物はタイムラプス映像で見れば動物かのようになめらかに動いている。

意志とそれを実現させるまでの間隔が、進化に連れて短くなっている。

進化は、個体の意志が受け継がれていった結果。個体が滅びて次の世代に受け継がれていくということ。つまり一個体の中での変化ではない。個体は滅びなければならない。

生物の多様性は、いわばモンテカルロ法アルゴリズムのように、生物を進化させるための土壌となる。過去では異常な行動が、現代においては当たり前になっているかもしれない。それも一つの進化である。多様性が人類を柔軟な進化に導くということだ。

それを思うのは蛾の羽の模様だ。蛇の目を模したような蛾の羽は、一体どういうことがきっかけになってそのように進化したのだろうか?

やはりそこには蛾の意志があったのだと思う。もちろん人間のような意志とは違い、行為の結果として人間が勝手にそれを「意志」と名付けているのだ。しかし行動において一貫した意志が感じられるとするならば、それは蛾の意志であったと言って特に問題はないような気もする。

エジプト博士。

エジプト古代文明の謎は、現代人も惹きつけてやまないものがある。ピラミッドやスフィンクスは、俯瞰して観た絵面がポピュラーかもしれないが、実際に観る時、それらは「下から見上げる」しかない。古代エジプト人は誰も空中写真のピラミッドを観ることはなく、当時の人に写真を見せてもピラミッドであることが理解されないかもしれない。その違いが、「書物の客観的な知識」と「実際の経験」の違いである。

一般に、客観的な事象(≒ピラミッドの空撮写真)は、主観的な事象(≒ピラミッドは見上げるしかなく決して頂上をみることができないこと)とは異質なものであろう。しかし知識はすべて客観的な事象である。自ら経験することによって初めて主観的な事象が得られる。もちろん、「ピラミッドは見上げるしかなく決して頂上を見ることができない」という事象を知識として得ていたとして、それは主観とは異なるものだ。

ただしその知識を想像によって再現することはできるだろう。この想像力が、人に与えられた翼なのだ。想像力によって、客観的な知識をあたかも経験したかのように感じて感動することができるのである。