囲碁囲碁

自分は高校大学と囲碁部に所属していて、普通に打てる人です。
でも大学も3年以降から部活に顔を出す機会も激減して、なんとなく自然消滅した趣味のようになってましたが、僕が高校で碁を覚えてから一緒に打つようになった父との囲碁だけは、延々と続いています。

そんな囲碁との関係も、もう6,7年になるのだろうか?とはいえ、数少ないたった一人の相手との囲碁でも学ぶことって意外に多いんですね。父親と毎回打つたびに、囲碁はどのように打てばよいのだろうか、ということについて、しみじみ考えさせられています。逆にいえば毎回考えては忘れて、の繰り返しということなのかもしれないけど。

でも、その過程で、僕が囲碁に本当に熱中していたあの頃には分からなかったことが、なぜか見え始めたという、もしかしたら勘違いかもしれないけれど、そういう思いが、最近になってあります。放置したことで悪い癖や記憶と知識に頼っていた打ち方が抜けて、純粋に自分の頭だけで囲碁に真正面から向き合うことができているからかもしれない。そういう囲碁との接し方は、確かにそれまではメインではなかった。今まで何か束縛されたようなうち方をしていた。知識や慣例で自分を縛っていた。今は本当に自由に、でも決してテキトーではなく、ちゃんとした考えと経験とに基づいている打ち方が出来ている。自分で、それまでは理屈がわからなかった理論を、実践から見出すことができたのかもしれない、なんて思ってます。そして、囲碁が、純粋に楽しいのです。