我慢(1)

「我慢する」というのは、何らかの目的の達成のための、やむを得ない一つの「手段」であるという認識だった。
しかし最近、「我慢する」ということはいわば“自分に対する約束”であり、それ自体に巨大な価値があると考えるようになった。

昔は、一つの手段に過ぎないと考えていた時には、それによるデメリットが想定される場合、容易に我慢という「手段」を捨て、我慢することをやめていた。
今はそれは約束の破棄であり、それは実生活における多少のデメリットを遥かにしのぐ損害であると思える。

「我慢する」ことを守り通すことによって得られるものは、「自分に対する信頼」である。長期的に見て非常に大きい。恐らく、今までの自分にはこれが決定的に欠けていた。

(2)は、我慢するための約束の仕方について。